2007年9月21日

「女が階段を上がる時」

ここんとこ禁酒生活が続いてるので、つたやでDVDを借りて映画を観たり本を読んだりしてなんとかしのいでいる。眠る度にビールを飲む夢を見る。夢の中で飲むビールはたとえ夢でもうまい。プハ~やっぱうまいと声にだす。目覚めるとなんか虚しい。

成瀬巳喜男の世界に浸りたいと思い『めし』『流れる』『女が階段を上がる時』の3本を借りて堪能する。どれも成瀬の真骨頂である庶民的な角度からみた女の儚さを描いた傑作だ。

よく成瀬と小津が庶民の生活をそれぞれの持ち味で描いたことで比較されることがあるが、小津は自分の映像感覚のスタイルに執着して同じような映画を何本も撮っている。それが今日、高い評価を得て世界中の映画ファンに大きな影響を与えている。ビムベンダースしかり。

一方、成瀬は本当の意味で日本的で庶民の生活の中の女の哀れを巧みに表現している。小津は庶民の暮らしを描いているのではなく、小津のつくった宇宙でありファンタジーだ。僕の好みはもちろん成瀬だ。別に小津を批判するつもりではない。小津は小津でこれは小津なんだと観れば結構面白いもんだ。

でもやっぱり成瀬の映画のほうが僕にはあっている。単に日本人的情緒がどうのという次元の話ではない。崇高なまでのメロドラマの達人である。観終わった後に残るなんとも言い様が無い切なさというかやるせなさみたいなものが心に染みる。小津に比べて駄作も多いと言われる成瀬だが、僕はやっぱり成瀬の方が好きだ。

高峰秀子は日本が誇る最高の女優だ。