人が成功するにあたって、ハングリー精神がいかに大事な要素であるか?これは僕がいつか歌にしようと考えていることで、先にネタばらしするみたいなんだけど、、僕は物質的にはハングリーではなかった。ちゃんとした一軒屋に住み裕福ではなかったけど貧しいと感じたことは無かった。僕の育った町はだいたいそんな感じで貧乏な人はイジメを受けてたりしていた。
でも、家が貧しかったり母子家庭だった小、中学校の友達だったやつらは、皆、強かった。社会にでてからも、現場作業をやっているやつもいればクリエイティブな仕事をやってるやつもいるが皆、それなりに成功している。
僕は物質的にはハングリーではなかったけどココロがハングリーだった。受験勉強でおかしくなって金属バットで親を殺すような微妙な家庭環境だ。ココロのハングリーさはやっかいなものだ。どう転がり落ちるか解らない。這い上がるための掴むものが見えない。
僕がよりどころにしたのは、映画と音楽と酒だった。そして、今も浮き世暮らしを舐めて誤摩化している。僕に本当のハングリー精神がないからだ。僕の歌は一般受けしない。
僕が、いくらココロのハングリーさを歌にしても聴衆はブルーハーツみたいな歌に熱狂する。僕とは相反するものだ。別に甲本の詞を批判するわけではないが、ちょっと感覚が違う。甲本の歌が受けているうちは僕の歌は理解されないだろうと変な脅迫観念にかられ、ダメだなあと勝手に決めちゃってるところがある。
でもいつか僕の歌も解ってくれるだろう、いいや解ってくれなくてもいいや、と自分を上げたり下げたりだ。そのうちいいことあるだろうによ〜♪